2015年1月21日水曜日

「泣く力」 私たちはどれだけ泣いているだろうか

調べものをしていて出会った言葉に感銘を受けました。話したのは、カトリックの教皇フランシスコ。古い言葉ではなく先日フィリピンで話した言葉です。私はキリスト者ではないのですが、キリスト教的な考えを持っていなくても心に響きました。

「今日の世界には泣く力が欠けています。疎外された弱い人たちは泣いていますが、別に困窮していない人々は泣くことを知りません。人生のある種の現実は、涙に洗われた目でないと見ることができません。」

出典:バチカン放送局「『泣くことを学ぶ』『貧しい人々に教えられる』ことの大切さ、教皇、フィリピンの若者たちに」http://urx2.nu/grDd

以前ストリートチルドレンだったという代表の少女の「子どもたちがなぜ苦しまないといけないのか」という言葉への答えの一部です。

考えさせられました。考えさせられたというのは2つあって、1つはこの言葉の意味、内容です。私には解説するだけの力もありませんし、この言葉を使って世間や政治に向かって”あなたは泣いているのか?” と迫るのもこの言葉の受け取り方として少し違う気がします。どれだけ泣いているだろうかと、自分自身の胸に問いかけることが大切な気がします。

もう1つの考えさせられたことは、この言葉が現在の社会に存在する問題への「答え」としてカトリックがきちんと応答していることです。結婚式や葬式などの儀式を彩るものでも、個人の内面の問題だけでもない、社会の問題に答えるものとして宗教があることをあらためて認識しました。それをきちんと行っているカトリックと、キリスト者ではない私を感動させた分かりやすく、深い言葉を話される教皇フランシスコを尊敬し、同時にカトリックを少しうらやましく思いました。

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