ネット上のニュースのコメント欄や掲示板サイトにしっかりした議論を期待するのは無理なのですが、これに関するいろいろな議論を見ていると、どうもいくつかの大事な視点が抜け落ちているように思えるのです。ということで、事実関係と議論すべき論点をまとめました。
◆北海道大学の芝生に何が起きているの?
まず事実関係です。
・北海道大学のキャンパスは、札幌市中心部に1,776,249㎡におよぶ広大な敷地を有している。
・構内には、まとまった広い芝生があり、これまで誰でもが立ち入りできた。周辺の保育園・幼稚園も利用し、それを大学当局も容認(黙認?)してきた。
・芝の管理に3,000万円かけている。
・数年前から芝生の利用ルールを作るなど管理を強化してきた。
・今年(2016年)になって、中央ローンなどでの保育園・幼稚園での利用に芝生が傷むとして文書で使用中止を求めるなど利用制限を強化した。
・2016年10月の北海道新聞にこれまで利用してきた保育園などが「困惑している」という記事が掲載される。
事実の流れはこうしたところでしょうか。
最後の北海道新聞の記事に対して、いろいろな議論がネット上に出ています。
北海道大学の管理する土地であるから、従うのが当然とする利用制限論。利用料の支払いや芝生の管理への参加を求める条件付き利用容認論。大学という公的機関であること、これまでの伝統により使ってもいいのではとする利用容認論などがあります。
しかし、どの議論も論点がずれているような気がしてならないのです。私が考える論点は2つ。芝生の状態が悪化した理由は何か?これが1つ目の論点です。2つ目は、立ち入り制限することの費用と効果です。それには、北海道大学の社会的責任も含めて考える必要があるということです。
◆芝生の状態が悪化した理由は何か?
大学当局が芝生の利用制限をした理由は、芝生の上を走り回ることで芝生が傷むということでした。確かに、過度な利用は芝を傷めるでしょう。しかし、これまで利用を黙認してきて「今」制限する理由としては説得力が足りない気がします。今も昔も同じような利用があって、同じような影響を芝生に与えていたのであれば、昔はいいと言われていたのに、今はダメと言われるのは「困惑」するのは当然でしょう。
何か変化があったのでしょうか。利用者が増加したことによって容認できない範囲となった、あるいは、これまでは芝生の悪影響を補修する予算があったがコストカットする必要がでてきたのでしょうか。あるいは、温暖化などによって芝生の生育環境が悪くなったのでしょうか。
仮に芝生の状態が悪化していたとして、それは保育園・幼稚園などの利用が原因だったのでしょうか。実は、このことに一番の疑問を持っています。というのは、広くは知られていないとは思いますが、次のようなことを見てきたからです。
・中央ローンには高木が多くたち、北斜面となる場所もあり、芝生の成長にとって環境がよいわけではない。
・数年前に中央ローンの一部で立ち入りを制限して芝生の育成をしていた。
・芝生の育成をしていた場所は、北斜面の樹木の陰にあたる部分だった。
・子どもの利用が多いのは、斜面よりも中央の川沿いの平坦な部分。
・冬期間には、周辺の道路で除雪した雪を中央ローンに押し入れている。そこは当然雪解けが遅くなっている。
芝生の成長を決めるのは、多くの条件が絡んでいると思います。日照や水分、土壌や栄養、利用による圧力…こうした複合的な要因があるわけです。農学部の研究者であるような人間が、十分な根拠を示さずに子どもの利用は影響があるのでNGという発言をするのは、科学的な態度とは言えないように思います。
そもそも、ここ数年の芝生の管理の状況を見ていると芝生の状態の悪化は子どもが原因だったのでしょうか。もともと北斜面で木による日影となるところに毎年除雪した雪を押し入れて雪解けも遅くなり、生育不良となっただけのようにも思います。利用の多い日当たりのよい平坦(やや南斜面)では、生育不良にはなっていないのです。
生育不良だからこそ立入を制限するのだという主張もあるのかもしれません。だとしたら、子どもの利用制限が状況を改善する鍵となるのでしょうか。とりあえず、簡単に規制しやすいことをしただけのようにも見えてしまいます。
この点では、芝生上での火気使用を禁止したのはやむを得なかったのかと思います。学外者を含む利用者が急増し、芝生の状態が悪化したのは事実でしょうし、きちんと経緯が説明されています。
(参考)共用レクレ-ションエリアの廃止について
http://www.facility.hokudai.ac.jp/modules/pico/index.php?content_id=23
ですが、芝生を再生させた後に子どもの利用まで規制するのはいきすぎでしょう。文章を読む限り、芝生を傷めたのはジンギスカンなどの火気を使用した利用です。これをしているのは、決して周辺の保育園や幼稚園ではありません。大人です。
芝生が生育不良となった原因をしっかりと追究し、エビデンス(証拠)に基づいた対策を取らないと、労力の無駄となってしまいます。大学当局、規制を主張する先生は、エビデンスに基づいて発言されているのでしょうか。
◆北海道大学の社会的責任
北海道大学に十分な予算があるわけではありません。先日も人件費を14.4%カットするために、教員の削減を検討していることが報じられています。芝生の管理なんかにお金をかけている予算なんかないというのが本音なのでしょうか。
報道によれは、芝生の管理に3,000万円かけているとのことです。そのうちどのくらいが荒れた芝の回復に使われているのでしょうか。内訳については不明です。しかし、おそらくその多くは、芝刈りと落ち葉の回収に当てられているように思います。春から夏にかけては定期的に芝刈りをしていますし、秋の落葉の季節にはしばしば芝生の上に落ちた落ち葉を回収にまわっています。
芝生の管理全体で3,000万円と聞くと大きな金額ですが、落ち葉の回収などは芝生の状態に関係なく発生する作業です。3,000万円のうち、芝生の回復のためにどの程度の予算が必要だったのかということが分からないと、この金額だけではミスリードな気がします。(報道の際には、ここにも突っ込んで欲しかったのですが・・・)
さらに、子どもへの制限しても管理費用が減らせなかったのであれば、北海道大学の評判を落とすだけで終わってしまいます。(もちろん、子どもの立ち入りを制限することに賛成の人もいます。その人たちにとっては、規制することで北海道大学の評価を下げないでしょう。しかし、評価やイメージが上昇するわけでもないでしょう。)
北海道大学の芝生は、北海道大学のイメージに重要な役割を果たしています。学生、教職員だけでなく、一般市民や観光客にも開放されています。ほとんどのガイドブックにも北海道大学のキャンパスが紹介されていますよね。誰にでも開放することによって、ガイドブックなどにただで掲載してもらっているわけです。そう考えると広告、広報としては年3,000万円なんて安いものと考えられるのではないでしょうか。
一方で、これまで北海道大学が寛容であっただけで、北海道大学が芝生の立ち入りを規制するのは当然だという意見もあるでしょう。あくまでも北海道大学のキャンパス内の芝生は北海道大学の私有地にある、そこの利用をどうするのかは所有者である北海道大学が自由に決めていいと。
この意見は、法律上ではそうかもしれません。私有地上の利用は所有者が決めることができます。ですが、どんな利用の仕方をしてもいいかというと、社会的には認めがたい場合もあるのです。
北海道大学のある場所は、札幌駅から徒歩10分ほどの都心のど真ん中と言ってもいいところにあります。そこに広大なキャンパスがあるのです。市民の立ち入りを拒めば、市民の移動に大きな支障が生じます。都心に広大なキャンパスを置く以上、そこへの立ち入りを認めないと共存できないでしょう。
さらに、中央ローンを流れているサクシュコトニ川という川があります。この川は自然の川ではありません。昔は自然の湧水があって、川の流れがありましたが、今の川の水は札幌市の水道からの放流水を利用しています。なぜ札幌市の水を北海道大学が利用できるのか?それは、中央ローンが開かれた場所であるからです。市民や観光客も利用できる場所であるからこそ、札幌市が水を提供しているのでしょう。
キャンパスをみんなが利用できるということで、北海道大学は都心にキャンパスを置くことができ、市民や観光客はキャンパス内の芝生などの環境を享受できたといえます。WIN-WINの関係です。さらに開放するということは北海道大学にメリットがあるということだけではなく、都心に広大なキャンパスをおく大学としての社会的な責任でもあるのです。
企業に対しては、CSRという企業の社会的責任ということが唱えられています。事業活動を通して社会に貢献するというものです。大学にもそれはあるでしょう。キャンパスの土地の所有者として権利を主張するのであれば、相応の社会的な責任を果たさなければならないでしょう。
◆まとめ
今回の北海道大学の対応は、子どもの利用を制限するだけの根拠を十分に説明できていないと思われます。キャンパスを開放することは、一般の市民だけでなく北海道大学にもメリットをもたらしてきたし、大学として、あるいは土地の所有者としての社会的な責任の果たし方でもあったのです。北海道大学が子どもの利用を制限することでこのバランスが崩れてしまいました。それが多くの波紋と戸惑いを生んでいるのでしょう。
芝生の育成や土地の所有という観点だけから、子どもの利用制限を判断してしまうのは議論が片手落ちです。札幌の街のなかに北海道大学があり、子どもも含む市民とともに生きているという社会のなかでそれぞれの役割や責任を考えていく視点も必要です。
企業に対しては、CSRという企業の社会的責任ということが唱えられています。事業活動を通して社会に貢献するというものです。大学にもそれはあるでしょう。キャンパスの土地の所有者として権利を主張するのであれば、相応の社会的な責任を果たさなければならないでしょう。
◆まとめ
今回の北海道大学の対応は、子どもの利用を制限するだけの根拠を十分に説明できていないと思われます。キャンパスを開放することは、一般の市民だけでなく北海道大学にもメリットをもたらしてきたし、大学として、あるいは土地の所有者としての社会的な責任の果たし方でもあったのです。北海道大学が子どもの利用を制限することでこのバランスが崩れてしまいました。それが多くの波紋と戸惑いを生んでいるのでしょう。
芝生の育成や土地の所有という観点だけから、子どもの利用制限を判断してしまうのは議論が片手落ちです。札幌の街のなかに北海道大学があり、子どもも含む市民とともに生きているという社会のなかでそれぞれの役割や責任を考えていく視点も必要です。